和歌山母親大会

母親大会・母親運動 入門

生命(いのち)を生みだす母親は生命(いのち)を育て生命(いのち)を守ることをのぞみます

母親大会は、このスローガンを大切に60年余、日本国憲法に想いを 重ねながら、何よりも平和と生命を守る運動を全国各地ですすめてきま した。

「核戦争の危機から子どもの生命を守ろう」と運動を広げ、「小児マ ヒから子どもを守ろう」「安全な学校給食を」「ポストの数ほど保育所 を」など、たくさんの切実な要求を、みんなの力で一つ一つ実現させて きました。

全国47都道府県に連絡会があり、中央加盟団体(50団体前後)と協 力し、毎年1万~2万人規模の日本母親大会を成功させてきています。

和歌山県でも、年1回県母親大会、各郡市母親大会(8郡市)に集い、 願いや想いを語り合い、学習し、運動や活動を交流しています。どなたでも参加できます。

母親大会の魅力と継続の力

  • 本音で話せる場です
  • 「集まれば元気、話し合えば勇気」が出ます
  • 「一人ぼっちのお母さん(女性)をなくしたい」と願っています
  • 分科会の主人公は参加したあなたです

母性のやさしさ、ゆるやかさ、しなやかさ、そして、ねばりづよさを大事にしながら、原点を踏まえて、みんなで歩んでいきましょう

私たち母親・女性は、「生命をおびやかすこと、くらしを破壊するこ と、自由を抑圧すること」を、相手が何者であっても許すことはできま せん。

一致点で手をつなぎ、あなたもご一緒に、みんなで声を挙げて行動し ていきましょう。

以下の文章、県母連冊子『わたしたちはあゆみつづける』より

母親大会はあなたが主人公

だれでも参加できます。 子どものこと、くらしのこと、安心できる老後を、楽しい青春を・・・・。あなたが今、かかえている問題、悩んでいること、考えていること、聞きたいこと・・。どの分科会へ参加するか、それもあなたが選んでください。

分科会では

一人ひとりの発言を大切に、みんなで考え、知恵を出し合い、時には助言者の先生から助け舟を出してもらいながらすすめる話し合いの場です。 母親運動の軸になる申し合わせ事項は、全員一致だけのものにし、多数決では決めません。

全体会では

参加者全員が一堂に集まって、連帯を強め、交流を深める場です。

どうして「母親大会」とよぶの?

〝母〟の名は、もっとも美しくなつかしく、誰にでも愛情を感じさせる呼び名です。母親大会は、いま母である人も、これから母になる人も、おとしよりも、母性をもつすべての人を対象によびかけ、共通する願いをあつめてひらかれます

「母なる大地」「母なるヴォルガ」など、生命の源泉やことの起こりを意味するのと同じように、生命を生み出し、守ることを表わす言葉として、最もふさわしく〝母親〟の名がつけられたのです。

母親運動って何?

年一回開かれる母親大会で決められた申し合わせ事項や決議を実現していくため、一年を通じて各地で運動をすすめます。
たとえば、

  • 自治体への要請行動
  • 子どもや文化を守り、育てる地域運動
  • くらしや健康を守る運動
  • 楽しく働きやすい職場づくりや母性保護の運動
  • 加盟団体がとりくんでいる諸活動

より大きな力を発揮しなければならない時は、県大会連絡会へ結集して運動をすすめます。

母親運動のはじまり

つらかった戦争、二度とくり返したくない

戦時中、夫や息子が戦死しても人前で涙を流すことも許されず、じっと台所の片隅で苦しみに耐えぬいてきた日本の母親たち。敗戦の混乱、飢えと死の恐怖。母親たちは、子どもと生活を守らねばと、必死でした。「米よこせ」「物価値上げ反対」「国際婦人デー」など、手をつなぎ、知恵を出し合い、母親たちは、行動に立ち上がっていきました。婦人団体や労働組合婦人部も全国各地でうまれました。二度、と戦争はいやだ、再びおそろしい原爆は落とさせまい、みんなで手を結び、婦人と子どもの幸せをかちとろうと、自らの足でしっかりと歩み始めたのでした。朝鮮戦争(1950年)と前後して、再び軍国主義の道をすすもうとする流れにも抗して・・。

日本の婦人のよびかけで 世界母親大会開かれる

ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験(1954年)によって、日本の漁船が被爆し、久 保山愛吉さんの生命がうばわれたことから、三たび原爆を許すまいと、「原水爆反対運動」が日本中にもえあがり、婦人たちも、この運動にいちはやく参加したのでした。 日本婦人団体連合会の平塚らいてうさんらは、こうした日本婦人たちのたたかいと平和への願いを全世界の婦人に知らせようと、国際民婦連に、「原水爆禁止のための訴え」を送りました。これがきっかけとなって、「母の名において死から生命を守り、憎しみから友情を守り、戦争から平和を守るために団結して行動しよう。」(アピール)と、1955年、スイス・ローザンヌで世界母親大会が開催されたのです。(日本14名参加。)

涙の大会から 平和を守る決意へ

日本母親大会

世界母親大会開催の1ヵ月前、第1回日本母親大会が開かれ、全国から2,000人が集まりました。「お母さん集まりましょう。」というよびかけや〝母親大会〟いう名に、理屈ぬきの共感をもったお母さんたちが、ひとりで、または2、3人の仲間と、あるいは先生に連れられて参加したのでした。1955年6月のことでした。こうして、〝ふつうの女たち〟が初めて人前でたどたどしい言葉で、自分たちの思いのたけを語り始めました。次々とつぶされる炭坑、基地周辺もようす、子どもたちのこと、死の灰をあびた広島・長崎、戦後の苦しい生活、また、久保山すずさんの訴え。涙、涙の大会となりました。この年以来、母親が手をつなぎ、平和を守ろうと、毎年母親大会が開かれてきました。